長野電鉄の近況

 地方鉄道としては比較的成功している、長野電鉄に行って来ました。現在でも観光特急を運行し続けている一方で、全列車ワンマン運転を推進するなどの合理化にも尽力しています。現用の2000系特急車と3500系普通車はいずれも老朽化が進んでいる為、近々置き換えが始まるようです。

長野駅地下ホームに並んだ特急車2000系と普通車3500系です。

交換駅は多く、またY字ポイントがかなり多く使われています。

沿線は田園風景が広がります・・・

湯田中駅に到着した2000系、こちらはA編成です。

A編成は下回りを更新、旧営団3000系の部品が使われています。

車内は集団見合いスタイル。ドア廻りにはロングシートも。

ややくたびれた感じが目立つ、2000系のロマンスシートです。

右のポイントの位置の関係で、列車はスイッチバックで停車します。

以前はどこでも見掛けた丸い灰皿ですが、最近は珍しくなりました。

湯田中駅の構内風景、毎時一本程度の発着です。

湯田中駅の外観、いつもながら雑な写真でごめんなさい・・・

湯田中で終点、山側の踏切はスイッチバック時のみに稼働します。

湯田中駅のホームはなんか旅情あふれる雰囲気です。

停車位置からの長野方向の眺め。右側の本線、勾配がすごいんです。

出発時は、一旦下がります。ポイントのトングの向きにご注目。

切り替わって、長野駅に向かって出発です。

普通列車に活躍する2両編成の3500系、元営団3000系です。

車内はおおむね営団時代そのまま(?)です。

屋根強度の関係で2台しか付かなかった、後付クーラーです。

最近渋谷東急のつり革は見掛けませんが、長野東急は現役。

クーラーをサポートするファンデリア、結構すごい音がします。

真ん中には営団マークがしっかり残っています。

独特の作りだった旧3000系の窓、こちらは全て閉まった状態。

上段窓を上げ開けた状態、さらに下段窓も一段上げられます。

運転台周り、意外と綺麗に使われているようです。

貫通扉周りには、すきま風防止の為かビニールテープが。

一部にはこういった塗装された扉も有るようです。

銘板色々、くすんでしまったアクリルが時代を感じさせます。

こちらは川崎車輌、東京オリンピックの年ですね。

上のプレートに比べると幾分綺麗な近畿車輛のプレート。

扇風機の車輌もあります。しっかり営団マーク付き。

須坂駅東側の検車区、新型車受け入れの為か、一部改装中でした。

須坂駅橋上駅舎内、なぜかエリンギが特売。名糖牛乳も懐かしい。

しっかり新型券売機も入っています。この辺は地鉄優等生らしい。

構内の案内板、昔の国鉄のもこんな感じでしたねえ〜。

須坂駅構内を転線中の3500系3連です。

廃車後も須坂駅構内に留置される、希代の名車、新OSカーです。

台車もオリジナル設計、だいぶ埃が積もっているようです。

新OSカーの屋根上、非冷房なのが惜しいところです。

須坂駅西側、右端のブルーシートは踏切事故で破損した車輌です。

須坂駅構内の、検車区内を見学させていただきました。

入替用として残るED5001、残念ながら除籍済みです。

部品取り用として残されている旧3000系、車籍はありません。

まさに廃車当時のまま、号車札も長電ではあり得ない「8」号車です。

検査中の3500系、いつ見ても和み系の顔です。

謎の仮台車、ん〜どこから流れたものでしょう??

検査中の2000系C編成、下回りがA編成と異なります。

B編成とC編成はこのような原型通りの台車を装備します。

3500系と2000系の屋根上、奥に見えるのは見学した検車区です。

3500系普通列車を追い抜く、2000系D編成です。

屋代線には専用改造された3500系が当たります。

屋代線は車内で運賃収受等を行うので、運賃箱が付いています。

専用改造車は現在は屋代線のみでの運用となっています。

車内には監視カメラも常備、小心者の私は落ち着かない・・・(笑)。

名門汽車会社のプレート、妙に綺麗なのはなんで?

屋代線の交換駅は昔日の栄光を伝える作りのものがあります。

屋代に到着しました。時代を感じる上屋がお出迎えです。

屋代駅はしなの鉄道との接続駅です。しなの鉄道の169系です。

こちらも時代を感じる跨線橋です。

 屋代駅の駅銘板、シースルーになっちゃってます・・・

経年が現れてしまっている床、靴の上からでも判るくらいの波。

屋代線昼下がりの車中、これぞまさにゴロンとシート??

国道と高速に挟まれた単線の線路を列車は往きます。

須坂駅付近にあった保線基地、奥には小型マルタイもあります。

スカート付きの2000系D編成、なかなか凛々しい顔立ちです。

台車はD編成のみ、当初よりエアサス台車を採用しています。

検査開け間もないのか、良く整備された3500系です。

絵に描いたようなローカル線の風景、和みますねえ〜。

ローカル鉄道線らしい風景、意外と直線が多い気がします。

須坂駅に到着、うう〜ん、いい感じの落ち着きぶりだ。

併用構造の村山橋、現在左側に新橋が建設中です。

新橋が一部供用された関係で、現在では2車線同じ方向です。

朝陽駅から長野駅まで6キロほどは、複線区間となっています。

 下りの信州中野行き2連とのすれ違い。軌道条件は・・・相変わらず。

長野新幹線と交差、残念ながら新幹線はやってきませんでした。

本郷駅付近では須坂行きと交換です。

へろへろ複線の先には突然近代的なトンネルが・・・。

地下区間、なぜか妙に薄暗い作りでした。よく言えばちょっとアメリカン。

<おまけ>ちょっと昔の峰竜太(浮気会見の時)っぽい??

線路図はこちらです。

 まず、長野電鉄の概略から。

 1922年に屋代〜須坂間での営業開始が始まりとなり、1928年には国鉄長野駅に乗り入れるようになり現在の路線網が完成しました。現在の路線網では、長野〜湯田中間33.2キロと屋代線24.4キロの路線を運行、沿線には小布施や湯田中等の観光地も抱えるなど観光資源は比較的豊富、一時期国鉄の急行列車が長野駅から直通運行されていた時代もありました。このような背景から、地方鉄道としては珍しい観光有料特急(とっても100円ですが)を走らせており、また都心部は地下化区間も存在するなど地方鉄道としては比較的近代的な設備を持っています。しかし2002年には信州中野駅から分岐していた木島線を廃止するなど、厳しい経営状況を伺わせます。とはいえ、長電グループとして長野経済では大きな存在感をもつ企業の一つです。

 ちなみに湯田中駅ではT字形の線路配置の関係で、3両編成の場合一旦ホームを通過して奥まで進入、その後ポイントをホーム側に切り替えて停車位置で停車するというとてもユニークな光景が見られます。これは発車時も同じで、車内アナウンスでも「一旦後ろに下がります」といった注意があり、一旦下がった後に本線側にポイントを切り替えて発車するという、レールが足りない模型レイアウトのような風景が見られます。

 続いては、いつもながら車輌の概要です。かつての個性あふれる新旧OSカーも維持費の低減を目的に相次いで廃車となってしまい、現在では最後のオリジナル車となった特急車の2000系と旧営団3000系を改造した3500系が活躍しています。

 まず看板特急車の2000系は三両一編成の構成、1957年にA編成とB編成が活躍を始め、C編成が1959年、D編成が1964年に増備されました。いまでは唯一の長野電鉄オリジナル車で、1988年から1990年には冷房改造や塗装変更を実施するなどしました。A〜C編成は釣合バネ台車(NA−P4)、D編成のみ空気バネ台車付きで完成しましたが、A編成はその後旧営団3000系の台車に振り替えられました。今後後継車がどうなるか気になるところです。

 主力の3500系は旧営団3000系で、3両編成のL編成3本、2両編成で運賃箱などワンマン改修された編成が6本(O編成)と未改修編成(N編成)が8本在籍しています(N編成も自動放送などは付いています)。ほかに部品取用に数両が売却されました。一部はベンチレーターを撤去の上2台だけクーラーを搭載するなど、涙ぐましい改造を受けていますが、全体的に老朽化が激しくなってきているようです。後継車についても決まっているようです。

 最後になりましたが、お忙しい中にも関わらず、飛び込みの車庫見学等を御許可頂いた関係者の皆様には厚く御礼申し上げます。