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まず、長野電鉄の概略から。 1922年に屋代〜須坂間での営業開始が始まりとなり、1928年には国鉄長野駅に乗り入れるようになり現在の路線網が完成しました。現在の路線網では、長野〜湯田中間33.2キロと屋代線24.4キロの路線を運行、沿線には小布施や湯田中等の観光地も抱えるなど観光資源は比較的豊富、一時期国鉄の急行列車が長野駅から直通運行されていた時代もありました。このような背景から、地方鉄道としては珍しい観光有料特急(とっても100円ですが)を走らせており、また都心部は地下化区間も存在するなど地方鉄道としては比較的近代的な設備を持っています。しかし2002年には信州中野駅から分岐していた木島線を廃止するなど、厳しい経営状況を伺わせます。とはいえ、長電グループとして長野経済では大きな存在感をもつ企業の一つです。 ちなみに湯田中駅ではT字形の線路配置の関係で、3両編成の場合一旦ホームを通過して奥まで進入、その後ポイントをホーム側に切り替えて停車位置で停車するというとてもユニークな光景が見られます。これは発車時も同じで、車内アナウンスでも「一旦後ろに下がります」といった注意があり、一旦下がった後に本線側にポイントを切り替えて発車するという、レールが足りない模型レイアウトのような風景が見られます。 続いては、いつもながら車輌の概要です。かつての個性あふれる新旧OSカーも維持費の低減を目的に相次いで廃車となってしまい、現在では最後のオリジナル車となった特急車の2000系と旧営団3000系を改造した3500系が活躍しています。 まず看板特急車の2000系は三両一編成の構成、1957年にA編成とB編成が活躍を始め、C編成が1959年、D編成が1964年に増備されました。いまでは唯一の長野電鉄オリジナル車で、1988年から1990年には冷房改造や塗装変更を実施するなどしました。A〜C編成は釣合バネ台車(NA−P4)、D編成のみ空気バネ台車付きで完成しましたが、A編成はその後旧営団3000系の台車に振り替えられました。今後後継車がどうなるか気になるところです。 主力の3500系は旧営団3000系で、3両編成のL編成3本、2両編成で運賃箱などワンマン改修された編成が6本(O編成)と未改修編成(N編成)が8本在籍しています(N編成も自動放送などは付いています)。ほかに部品取用に数両が売却されました。一部はベンチレーターを撤去の上2台だけクーラーを搭載するなど、涙ぐましい改造を受けていますが、全体的に老朽化が激しくなってきているようです。後継車についても決まっているようです。 最後になりましたが、お忙しい中にも関わらず、飛び込みの車庫見学等を御許可頂いた関係者の皆様には厚く御礼申し上げます。 |
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