Company Railway Photos 

(西武、東武、阪神、東急)

  西武鉄道 E851


  西武の6000系が登場し、乗りに行った際に撮影したものです。私鉄ではたぶん唯一のF級大型電機で、西武では4両も新造して投入しています。下回りがつぶれてしまっていて全く見えませんが、EF65とEF81の残り香のする車両です。しかしながら、中央の丸窓や運転席窓のデザイン等、随所に個性を主張しようとした努力の跡が伺えます。最近、退役してしまったようです。

 

  加藤の機関車


  西武の所沢工場だと思いますが、撮った覚えがないので、ひょっとしたら頂き物の写真かもしれません。

 それはそうとして、加藤製作所製造と思われる、ちょっと骨董価値のある機関車です。もっとも工場内の移動用として使われ、こんな奥に押し込められてしまっているのですから、すでに放置状態にあったのかもしれません。

  西武101系


  3ドアの西武車としては標準車といえるほど大量生産された車両です。生産モデルも多岐にわたるようです。正面デザインも多岐に渡るのはご承知の通りですが、この世代の私鉄車両というのは、とかく大量にそろえるのが一つの流行だったのかもしれません。

  西武5000系


  現在では退役してしまいましたが、当時の西武の看板列車です。鉄仮面などといういかついあだ名を頂戴していましたが、側面は特に特徴がないのが特徴のような車体でした。といっても、このころ既にちょっと陳腐化気味でしたが・・・。

  西武6000系


 6000系は登場したばかりでした。西武の電車といえば黄色というイメージだったのに、なんだか小田急みたいだなあと思った覚えがあります。また西武としてはあか抜けたデザインで、ちょっと西武らしくない車両の一つでもあった気がします。今の生産車両ではアルミ車体になりましたね。

 東武電車


 池袋のJRホームから撮影したものでしょう。東武の電車というのは実は全く縁がなく、たしかこのときに某模型店に行こうと乗ったきりになってしまっています。

 

  震災前の御影駅を通過する赤胴


  親戚の家があった御影駅を通過する阪神電車。阪神電車は急行系が赤胴(車体下半分が赤い)、各停系は青胴と呼ばれる専用車の運用がほとんどです。最近では直通系にオレンジが登場したようですが、この色分けは今でも変わっていません。

 

  震災前の御影駅に停車する青胴


  こちらは各停系に使われる青胴車。青胴は別名「ジェットカー」と呼ばれ、駅間距離が短い阪神電車向けにかなり加減速性能を向上させてあります。

 

  南海電車


  何か用事があって乗ったときに、とっさに撮ったものだと思います。南海の新しいカラーになってからすぐの頃ではないでしょうか。

 

  南海電車


  上の電車の反対側。この車両も、すでに退役してしまったと思います。

 

  甲種回送待ち


  こちらは旧5000系が松本の私鉄に引き取られていく際の甲種回送を撮ったもの。長津田駅も横浜線のホーム改修などで、だいぶ配線が変わったと聞きます。田園都市線ホームからも丸見えのこの位置だと、さながら隠居するおじいちゃんを現役車両皆でお見送りするような感じです。

 

  ドナドナ待ち


  このころ5000系といえば、長野電鉄を初めあちらこちらの中小私鉄に引き取られていった頃です。その5000系も、いまや一部を除いて全廃されてしまいました。それにしても東京で育ち、上高地で余生を過ごすなんて、ちょっと幸せな5000系です。

 

東急世田谷線 上町駅


 緑の小粒がゾロゾロいた頃の上町駅構内。中央の150型は比較的新しい(といっても1963生まれだかなんだか・・・)の車両で、当時本線系で一大スターだった日本初のオールステンレスカーの7000系っぽくデザインされています。でも鋼製ですけどね。

 現在でも上町駅構内には車両基地がありますが、配線がかなり変わっているとのことです。

 

東急世田谷線 上町駅


 撮影場所は上町(?)です。ライトが腰回りに移動された後なので、比較的末期のものと思います。

 かつては世田谷の風物詩だった玉電以来の小型車ですが、いかんせん床が高く高齢者などの乗り降りに支障を来したこと、構造上冷房を付けることが難しかったとのことでついに数年前、退役しました。しかしながら一部の部品だけは新型車に引き継がれたとのこと、しぶといなあ・・・

 

 キハ185


 非常に荒い写真ですが、民営化2年目頃、キハ185の帯が水色になった頃の写真です。当時はまだキハ181と185の二形式だけだったはずです。

 日時不詳 川之江駅にて

 

 キハ52


 まだJR四国塗装への塗り替えが終わっていないキハ52です。後ろの50系客車もかつては四国の通勤通学輸送を支えた形式の一つです。

 日時不詳 川之江駅

 

 宇高連絡船から・・・


 高松駅を離れる連絡船から撮影した、可動橋の様子です。特徴はその3分岐ポイント、確か全国でも数少ない一つだったと記憶しています。

 

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